【子育て】期待じゃなく、信じる 否定じゃなく、認める
私は短気だ。
子供を怒りすぎて、自分が母親であることに嫌気がさしてしまうことがある。
感情に任せて怒りをぶつけてしまい、どうしようもない自己嫌悪に陥る。
怒ってしまったあとは、いつも後悔する。後悔するのに、また怒ってしまう。
私は幼稚だな、とつくづく思う。
家族に甘えているのだ。家族だからといって、何を言ってもいいわけではないのに。
私がどんなに怒っても、子供にとっては親がすべてだ。
ケンカをした後、「ママ大好き」と言われると、胸がギュッとなる。
私が子供を怒るのは、何度言っても同じことを繰り返すとき。
学校から帰ってランドセルを放りっぱなし、食事中に席を立つ、言葉遣いが悪いなど。
毎日・何度も・繰り返し言っているにも関わらず、行動が変わらないときに「いいかげんにして!」「どうしていつもそうなの!」と言ってしまう。
でも、自分が子供のときはどうだったか?と考えると、似たようなものだった気がする。
食事を食べるのが遅く、いつも「早く食べなさい」と言われていたし、部屋を片付けるのが苦手で、「足の踏み場がないねぇ……」と母によく呆れられたものだ。
でも、記憶の中の母はいつも穏やかで、包み込むような優しさがあった。
怒っている姿というのは、あまり記憶がない。あっても数える程度だ。
私は、子供の頃はのんびりやで、内弁慶の甘ったれた子供だった。
ダラダラしていたし、グズだった。
でも、母がそれに関して呆れはしたものの、怒ることはなかった。
反面、気の短い父親にはよく怒られた。(だから私は父が怖くて仕方なかった)
母はいつも私の味方で、私のすべてを愛してくれた。それは言葉でなくても、「愛されている」という実感として、私の中にずっとある。
子供の頃の私にとって、母がすべてだった。
今、自分と子供の関係を、母と子供の頃の私に置き換えてみると、母にあって私にないものは、「ありのままを受け入れる」ということ。
期待する行動をしてくれなくても、ため息が出るほど呆れることがあっても、子供の私をありのままの存在として「仕方ないねぇ」と受け入れてくれた。
過剰に期待するから怒りがわくのだ。
期待せず、「そのままでいい」と受け入れてしまえば、そもそも怒りは感じない。
私には私のペースがあるように、子供には子供のペースがある。
部屋が多少散らかっていても、 ランドセルが放りっぱなしでも、それが後々の人格に大きく影響するとはあまり思わない。
母が私にしてくれたように、「仕方ないねぇ」と受け入れてくれれば、子供はいつか「これじゃいけない」と自分で気付くはずだ。私がそうだったように。
期待するより、子供のありのままを、信じよう。
好きな言葉がある。
「人間の変化は、現状の肯定からしかありえない」
変わりたいなら、まずは認めること。
私は怒りっぽくて、神経質で、幼稚で、人として最低な部分がある。親として最低だ。でも、それが今の自分なのだ。
まずその部分を認めないことには、変われない。
認めたうえで、どうすべきか対策を考える。
私は、怒りっぽい自分を認めた。すぐ感情的になってしまう幼稚な自分は、どうしようもない親だと認めることから始めた。
それから、子供に期待するのではなく、子供のありのままを受け入れて信じようと決めた。
1週間経ってみて、相変わらず子供は片付けが苦手だし、食事中に席を立つけれど、私の心は比較的穏やかだ。
私が穏やかだと、子供も穏やかだ。お互い嫌な気分になって泣くこともない。
しばらく、このままやってみようと思う。