情報や芸術にコスパを求める現代人。
今朝(2019年1月7日)の朝日新聞・朝刊に興味深い記事があった。
27面の文化・文芸面より
コスパ良く 確実に感動したい
心動かされたい。でも、予測できないものには手を出したくない。そんな空気が今、エンタメ・カルチャーを等しく取り巻いているように見える。
まず、このタイトルと書き出しにドキッとする。
感動にコスパを求めるってどういうことだろう?
読み進めるうちに、情報過多のこのご時世において、現代人が「感動できる」「有益だと思える」コンテンツやカルチャーを見つけるために、いかに効率化を求めているかがよく理解できる記事だった。
現代人……とくに若い年代では以下のような傾向があるらしい。
- スマホやゲームなど、若者の娯楽は一瞬で楽しめて、完結するものが多い
- どんな心の動きが待っているか、ストレートに分かるタイトルが受け入れられる
- あふれる情報から何かを選ぶため、さらに大量の情報を必要とする
- 文章が長いものは読まない
- お金を払うライブや演劇で「失敗したくない」という若者がいる
確かに、時間は有限で現代人は忙しい。無駄なものにお金や時間は使いたくない。
私も、できることなら一発で有益な情報に辿りつきたいと願う現代人のひとりである。
これを読んで、私はすぐにWebライティングのことを考えた。
ライティングの本でも、クライアントさんからのレギュレーションでも、「結論を先に書いてください」とある。
読者が全部読んでくれると思うな。
最初の数行が面白くなかったら、ページを閉じられて終わり。
ここにどんなことが書いてあるのか、リードで読者の心を掴んで最後まで読ませるのだ……と。
私が普段請け負っている案件は、「読者が抱える悩みや疑問を解決するため」「読者に有益な情報を提供するため」に書いている。
それならば「結論」を先に書くべきだし、「悩み」や「疑問」の解決を目指してGoogle検索している読者のことを思えば、ポイントを押さえたわかりやすい記事がいいに決まっている。
だらだらと根拠を述べて、最後の最後まで結論を引っ張るよりは、バン!と先に結論を出して、さらに「この記事を読めば、こんなことが分かりますよ」と箇条書きにでもなっていれば、自分に必要な情報があるか判断しやすいのだ。
読者が「この記事は有益だった」と満足してくれれば、それはコスパのいい記事ということになり、悩みや疑問を解決する実用的な文章ならそれでいいと思う。
でも。「感動」にまで、コスパを求めるというのは、いかがなものか。
「せっかくお金と時間を使って鑑賞するからには、絶対に感動したい」「感動するために、事前に情報収集しておく」というのは、なんだか奇妙な感じがする。
「ちょっと泣きたいときにオススメ」とか「感動したいときに観て欲しい!」とおすすめされている本や映画は、そんな現代人の心理をうまく突いていると思う。
時間に追われ、文化的なものにさえ効率を求めるようになったら、この先いったい何が人の心を感動させてくれるのか。
ふとしたときに出会った景色や言葉に「ハッ」と心奪われて、誰が書いたとか誰が作ったとか関係なく、「ただただ、すばらしい」と「感動」できる心を残していけたらいいのに。
そんなことを思った、1月7日の朝。